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6月30日(土)  夫との思い出を綴ってみようかと思います。

           プロポ−ヅの言葉なんか覚えていません。銀行に電話がかかり幾度となく駅で待ち合わせ食事、そして喫茶店などで話あいました。殆どお父さんが話してた様に記憶しています。必ず実家まで送つてくれました。戦争で焼け出され叔母さんの家でお世話になり,母が見つけてきた家が兄達の今の実家です。父が大空襲で仕事の帰り背中に爆弾の破片があたり負傷したのです。大変な時代でした。母はよく働き姉たちも勤め兄は夜間の大学への進学おあきらめ私お皆で高校へいかせてくれました。感謝、感謝です。家族全員お父さんの誠実な人柄に安心して西も東もわからない私お送りだしてくれました。



           
3月26日(月)   書類の整理に追われた数ヶ月、大変でしたが寂しさや虚しさは忘れていました。
           少し落ち着いて、夫のいないのが本当に辛く思われます。 命の定めは厳しいものです。
           泣いていても仕方がないことはわかるのですが、外へ出ていくのにもエネルギーが必要です。
           少しずつ、歩いていこうと思います。

12月12日(月) 辛抱するのが当たり前の人生でした。 夫を失い、これからどのように生きて
           行けばよいのでしょうか。

12月11日(日) 夫は部活動の指導で帰りは遅く、休日も家庭にはいませんでした。 それが
           当たり前でした。

12月10日(土) 31歳で接骨院を開業しました。 10年ほどでしたが、いろいろな方との
           出会いがありました。

12月9日(金)  29歳の時に修道整骨の専門学校へ通い始めました。 夜学に2年でした。

12月8日(木)  柔道部の生徒さんが、よく家を訪ねてくださいました。 食事代でお給料が
           なくなることもしばしばでした。 

12月7日(水)  22歳で長女、 24歳で次女を授かりました。 舅姑に仕えながら、 子育て
           に追われ、夫を支え続けた日々でした。

12月6日(火)  銀行に勤めて3年目に夫と結婚しました。 恩師の紹介でした。 その恩師も
           柔道関係の方でした。

12月5日(月)  長女夫婦も仕事に戻り静かになりました。 本当の意味で夫と向き合い自分
           の歩みを始めようと思います。

12月4日(日)  浄土真宗はご飯とお水を供えます。 夫は多くの方々に囲まれ幸せでした。

12月3日(土)  介護日記を終わろうかと思いますが、しばらく思い出をつづろうかと思いま。

12月2日(金)  雨が上がりました。  涙雨だったのでしょうか。 介護が終わり、これからの
           考えたいと思いますが、 しばらく何も手につきません。処理すべき書類が
           沢山です。

12月1日(木)  葬儀です。  多くの方が来てくださいました。 本当にありがとうございました

11月30日(水)  今日は通夜です。  きれいな青空です。 安らかに。

11月29日(火) 午前9時25分旅立ちました。 長い闘病でした。 ご苦労様でした。

11月28日(月)  朝から目を覚ましません。  ドクターに来ていただきました。 昏睡自状態です。 怖くなり娘に来てもらいました。
           もう二度と目を覚まさないのでしょうか。

11月27日(日)  言葉をほとんど話さなくなりました。でも私の姿を目で追うようです。本当はすべてわかっているのではないかと思います。
           介護用ベッドを直角に立て、水分を気管に入らないように少しずつ飲んでもらっています。1日300cc飲んでくれると
           ほっとします。

11月2日(日)  夜中にふと目が覚めると、夫が起きているのではないかという思いに捕らわれます。 起きていたら少しでも水分をと思って
           いるからでしょうか。  こんな日々があとどれくらい続くのでしょうか。

11月27日(日)  夫は水分も十分とることができなくなってきました。 発話も減っています。 少しでも口から水分をと思いますが、嚥下も
           うまくいかないようです。 人が与えられた生を全うするとは大変なことだと思います。

11月26日(土)  介護に携わる方々は本当に大変なお仕事だと思います。 人の家庭に入るのも気を使うでしょうし、必ずしも温かい家庭
           とは限らないでしょう。 仕事そのものも重労働です。 私は一人ではとても夫の介護はできませんでした。 こういう法整備
           ができていたことに感謝します。

11月25日(金)  私の人生は何だったのかと思います。 義父母に仕え、夫に尽くし、娘二人を育てました。 自分のために生きることなど
           ありませんでした。 今夫が眼の前からいなくなったらどうしたらいいのでしょう。

11月24日(木)  夫が薬を飲もうとしなくなってきました。 嚥下能力が衰えているのでしょう。 水分だけは少しずつ、根気よく、飲んでもらって
           います。 ヘルパーさんたちが入れ替わり立ち替わり家に入ってくださいます。 このにぎやかさがずっと続くようにも
           思います。  すべてのことに終りがあるのですが、そんな気持ちになる日々です。

11月23日(水)  下の娘が孫娘とともによく来てくれます。 反応がなくなってきた夫ですが、孫娘はよくわかるようです。孫は5人。みんな
           がわいいのでしょう。 先を考えてもしかたありません。 その日1日を大切にしたいと思います。

11月22日(火)  お菓子とお茶を買い置きしてあります。 汗だくで音の面倒を見てくださる先生方に何かほっとするものをと考えます。
           介護の仕事は本当に大変だと思います。 ありがとうございます。 おかげで腰も大分よくなりました。

11月21日(月)  娘の嫁ぎ先からみかんを贈っていただきました。 大きなみかんです。 皮をむくと夫はちゅうちゅうおいしそうに吸います。
           うれしい贈り物でした。

11月20日(日)  「私のことわかる?」と聞くいと、黙っているので何度も聞くと、「わかってる!」と怒ります。 この生活があとどれくらい続くのでしょうか。
           その日1日を大切にしたいと思います。

11月18日(金)  介護をしてくださる男性がとても優しくて頭が下がります。 決して楽な仕事ではないのに、笑顔で励ましてくださいます。 ありがたいことです。

11月17日(木)  夫はよく眠るようになりました。 昨日は24時間寝ていました。 ドクターはそれでいいと言われます。 

11月16日(水)  夫の足の床ずれの治りが悪く、気になっていました。 体位変換をしていても出来てしまいました。 看護師さんに勧められた
           貼り薬を娘にネットで注文してもらいました。 よく効く薬でありますように。

11月15日(火)  大柄な男性の介護をするのがこんなに大変だとは、実際に経験するまでわかりませんでした。 日本国中で同じ思いを
           している方が大勢おられるのでしょうか。  お話してみたいと思います。

11月14日(月)  姉と姪がお見舞いに来てくれました。 ありがたいことだと思います。 ちょうど娘から電話があり娘がお二人の声を聞けたのも
           よかったと思います。 夫はいつものように1日を過ごしています。 

11月14日(月)  夫の介護で痛めた腰が大分よくなってきました。 周りの方々が心配して1日に3回ヘルパーさんが入って下さりかなり
           負担が減ったのだと思います。 ありがたいことだと思います。

11月13日(日)  病むといっても、痛いでもなし痒いでもなし、にこにことヘルパーさんたちに囲まれている姿をみると、この人は幸せなのかも
           しれないと思います。

11月12日(土)  あんなに活躍していた人なのに、自分のことが支えられなくなって、自分のこともわからなくなってくのを見るのは辛いです。
  

11月11日(金)  娘から介護日記を書いてみないかと言われ、ずっと書きたかったのだと気がつきました。 夫の手術から今日まで気の休まる
           日はありませんでした。 ヘルパーさんたちに助けられ今日も無事に終わることを感謝しています。 一人ではできないと感じています。